ものづくり実績

後世に残る商品開発 プロフィール

<雇われの時代から商品開発に興味津々>
23歳結婚を機に、勤める酒販店が経営する居酒屋の店長に抜擢され、食材の目利きを習得する為に、先輩を頼って近くにある西日本最大規模を誇る大阪市中央卸売市場に通いました。周辺の酒屋が営む大衆居酒屋の多くが、業務用メーカーの半調理品(冷凍)を使用する中、毎朝市場に届く新鮮な食材を一から下ごしらえして手づくりの料理をお客様に提供すると、口コミで創作料理の店として評判となり繁盛しました。工夫とアイデアと改善により、独自の出汁や味付けを編み出しました。そんな中、酒類や調味料を仕入れていた酒問屋の「ヨシカワ酒販(現イズミック大阪支店)」の常務から、肉スライスのしゃぶしゃぶが一般家庭でも食卓に出されるので、専用ポン酢を開発して欲しいと相談され、店で使っていたまろやかなマルテン醤油とタマノイ酢と昆布と鰹節と徳島産の酢橘をブレンドした「板前手づくりポン酢」を開発。酒販店専用として販売していたが、関西スーパーさんが何としても取り扱いたいと頼まれ、値段は小売り希望価格を守ると約束して承諾しました。現在でも人気のポン酢です。

<酒類はじめ常温食品の開発>
27歳の時に、投資がかかる居酒屋での独立を断念し、お酒・お米の宅配専門店を開業。共同仕入れグループを設立し、全国の酒蔵を訪問。独立する前からお客様より、正月用にめでたい酒は無いのかというご要望に応えて「金箔入りの日本酒/金箔酒」を開発。新潟県や岐阜県の蔵元さんとタイアップし、地元でしか販売されていない長年飲み継がれて来た地酒のネーミングをアレンジしてオリジナルとして販売。福岡県八女市の名門の蔵元に出向き、全国多々ある鬼ころし(パック酒)の中で、一番旨い「統一鬼ころし」を開発。大吟醸の室で仕込んだ「酒蔵の甘酒」が大ヒット。 焼酎ブームを予測し、宮崎や鹿児島の焼酎蔵元とオリジナル焼酎を開発。中でもオーク樽に入れて香り付けした「熟成焼酎」や、甲類焼酎と乙類焼酎をブレンドする事で辛口で切れもあってまろやかな「甲乙混和焼酎」を発売。大分日田の天領水を使用した「大分麦焼酎 旨すぎてこらえといてよ」は、現在でもわんまいるオリジナルとして販売しています。第一次地ビールブームを予測して、当時加盟店であった箕面市の大下酒店(現箕面ブルワリー)さんに頼んで「大阪麦酒/ダークタイプ」を開発。食品では、和歌山県みなべ町の岩本食品さんに頼んで、当時ギフト用に使われていた完熟南高梅の破れて売り物にならない梅干しを見て、500gを容器に入れて「ハチミツつぶれ梅」として発売したところバカ売れ。他のメーカでも「つぶれ梅」を発売するようになりました。鳥取県の白雪食品さんから提案いただいた、粒が大きく肌色のラクダ種と言うらっきょを「砂丘らっきょ」として名づけ、通常のらっきょに比べ一粒当たりの栄養分が多い(粒が大きいから当たり前)として販売したところバカ売れ。

<常温商品から冷凍食品の開発へ>
お米では、2005年に島根県ブランド振興課と県産品の開発と、販売支援を頼まれて連携協定を締結。JA斐川町が温暖化に対応した新新種米”きぬむすめ”を生産者の顔が見えるお米「かあちゃん」と名づけて発売。吉本興業に頼んでザ・ぼんちのおさむさんと、お客様田植えツアーを実施するなどPRに成功し、今日でも人気で売れ続けています。岩手県の品種”ひとめぼれ”も、代表生産者であった細川氏の名前を使った「はじめさんちのお米」として米袋に顔写真を大きく掲載し、生産者の顔が見えるお米として一世風靡するなど、各JAや生産者と連携したお米の販売を手掛けました。
島根県と連携協定を結んでから、島根和牛を泳ぎ牛と命名した駅弁「泳ぎ牛弁当」、「隠岐牛コロッケ」、「糖度15度以上のブルーベリーヨーグルト」を開発。「石見ポークの肉じゃが」はじめ数多くの石見ポークを使った冷凍総菜も開発。現在では、全国のブランド食材等を使った冷凍おかずを全国各地の専門調理会社と提携し、こだわりの冷凍おかずの開発を行っています。

ページ上部へ戻る